一年のあゆみ_2024年度
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光駆動ナトリウムポンプは発見の後に創成を実現した例であるが、逆の例となるのが内向きプロトンポンプである(図3c)。 プロトンの濃度勾配がATP産生に使われることは細菌からヒトまで共通であり、このため生物は呼吸鎖の膜タンパク質群に代表されるさまざまなプロトン□出し装置を創り上げてきた。 その方向はすべて外向きであり、内向きプロトンポンプはATP合成酵素と競合するため、生物にとって自殺行為である。 そこで外向きプロトンポンプのメカニズムを深く理解するため、自然界に存在しない内向きプロトンポンプを創成したいと考える中、2009年、藍藻の光センサーロドプシンに対する1アミノ酸の置換により内向きにプロトンを輸送するタンパク質の創成に成功した[12]。 このタンパク質により初めて細胞小器官をアルカリ化することが可能となり、慶応大の柚﨑通介博士らによるPhotonSABERのツール開発へと繋がることになる。 驚いたことにこの数年後、内向きプロトンポンプロドプシンが自然界に存在することがわかった[13-15]。 これらのロドプシンは構造や光反応機構は外向きプロトンポンプとよく似ているものの、レチナール近傍の電荷を巧みに制御することで逆向きの輸送を実現している。 (図3a)には我々が発見に関わった例として、他にも新規陽イオンチャネルロドプシンGtCCR4[16]、光で環状ヌクレオチド濃度を制御する酵素ロドプシン[17]やロドプシンとイオンチャネルが巨大膜複合体を形成したベストロドプシン[18]を示しているが、何と言っても興味深いのがヘリオロドプシンである。 ここ数年で微生物ロドプシンの機能が驚くほどの拡がりを示したものの、これらはアミノ酸配列の相同性を持ち、系統樹を書くことができる。 ところが既知の微生物ロドプシンとの配列相同性がきわめて低いロドプシン様タンパク質分子がイスラエルとの国際共同研究により見つかったのである[19]。 我々は太陽を意味するヘリオロドプシンと名付けたが、ヘリオロドプシンは膜に対するトポロジーが逆転していた(図3d)。 激しい国際競争であったが、ヘリオロドプシンの構造[20]についても機能[21]についても、我々は最初に明らかにすることができた。 その機能はプロトン輸送体であったが、既知の微生物ロドプシンとは異なり、ヘリオロドプシンのファミリーはイオンポンプやチャネルが少ないこともわかった。 特定の脳細胞だけを選択的に活動させることは脳科学者の夢であったが、それを実現したのが光遺伝学である。 2002年に緑藻のクラミドモナスからチャネルロドプシンが発見されると、5年も経たないうちに、米国のDeisserothらや日本の八尾らによってチャネルロドプシンを特定の神経細胞に発現させることで、光による神経興奮を制御するという技術が開発された[22]。 この手法は、Deisserothらにより光学(Optics)と遺伝学(Genetics)を組み合わせて光遺伝学(Optogenetics)と呼ばれるようになった。 光遺伝学においては、緑藻のチャネルロドプシン2(ChR2)が光を吸収するとチャネルが開きナトリウムイオンが流入し、その結果、神経細胞が脱分極することで活動電位を発生する(図4a)。 一方、神経興奮を抑制するためには細胞を過分極させればいいのであるが、このためには正電荷を細胞外に輸送するか、負電荷を細胞内に輸送すればよい。 最初に光駆動クロライドポンプが用いられて以来、様々な光遺伝学ツールが開発されている(図4a)。 光遺伝学のインパクトは大きく、現在では脳に限らず「生命活動の光による制御」を指す言葉となった。 イオンを輸送する微生物ロドプシン以外も含め、活発なツール開発が行われている。 様々な光遺伝学研究の中で、医療応用として注目されるのが光遺伝学的視覚再生である(図4b)。 網膜色素変性という遺伝性の視覚障害(患者数は日本人で3万、国際的に100万以上)は、年齢とともに視野が狭くなり、失明に至る。 この疾患の深刻なところは、現在、治療法がない点にある。 我々の視覚では、視細胞から双極細胞、神経節細胞へと信号が伝わることで、脳でものが見えた、と認識される。 網膜色素変性では、視細胞が壊れてしまうのであるが、逆に言うと、後続する細胞は残っているため、ここにチャネルロドプシン遺伝子をウイルスベクターなどにより発現させた上で光で活性化させよう、というのが光遺伝学的視覚再生における遺伝子治療の基本的な発想である。 失明患者さんが机の上のカップを見ることができた、という2021年の論文における動画は実に感動的であり、光遺伝学が真にひとの役に立っていることを実感することができる[23]。 しかしながら研究が進む中、視覚再生は屋外の明るい環境下でしか実現できないという問題点が明らかになってきた。 確かに先述の動画では、患者さんは特別なゴーグルを装着しており、そのゴーグルで光を増幅しなければ室内光のもとでの視覚は働かない。 なぜそのようなことが起こるのであろう? 我々の視覚では真夏の晴天から星空のもとまで、8桁にも及ぶ幅広い強さの光を捉えることができる(図4c)。 その要因となるのが、(1)2種類の視細胞、(2)増幅過程の存在である。 視細胞には錐体と桿体という2種類が存在し、錐体には赤・緑・青を吸収する色覚視物質が存在して明所で色の識別に関わる一方、桿体には暗所視を担うロドプシン(狭い意味でのロドプシンの定義)が存在して役割分担している。 さらに錐体・桿体のいずれも視物質が Gタンパク質の活性化を介した2段階の増幅過程によりチャネルを制御する結果、高い光感度が実現している(図4d)。一方、光遺伝学的視覚再生におけるチャネルロドプシンの光応答には増幅過程が存在しない(図4e)。 その結果、例えばChR2の光感度は室内光のレベルには達しなかったのである(図4c)。4. 光遺伝学の登場とその医療応用、そして現在の課題次ページ(図4)参照43

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