一年のあゆみ_2024年度
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か「Oui!」と返事するばかりで、ボスから「日本人はいつもYesし上原記念生命科学財団のご支援をいただき、モントリオールでポスドクとしての新生活が始まり半年が経過しました。出発の日の関西国際空港で感じたワクワクは、その情景と共に半年たった今も鮮明に思い起こされます。 経由地のバンクーバーに降り立つと案内はすべて英語になり、最終目的地のモントリオールに着くと全てがフランス語に変わり、それとともに私の心はワクワクからハラハラへと変わりました。 モントリオールの属するケベック州はカナダで唯一、フランス語のみを公用語とする州です。 バイリンガルの方が多いのも事実ですが、街中で英語の表示を見かけることは稀で、フランス語がわからないと生活は少し苦労します。 当時、私の知っているフランス語は「ボンジュール」くらいで、出口の表記すらわからず、間違えて非常出口を開けてしまいサイレンが鳴り響くこともありました。 研究業務と並行してフランス語夜間学校に通うことによって言葉が理解できるようになるにつれ、モントリオールの石畳と赤レンガの街はより色鮮やかに見えるようになりました。 毎朝この赤レンガの古い建物の間を通り抜けて通勤していますが、赴任した当初とはまるで違う景色のように感じます。研究室のボスであるKolta教授は一見厳しそうに見えますが非常に気さくな方です。 絶えず誰かが孤立してないか気を配り、すぐに手を差し伸べてくださります。 おかげで研究室にすぐに馴染むことができました。University of Montreal Faculty of Medicine山 田 雅 治当初は大学院で携わった咀嚼運動に関する神経生理学的研究を行う予定でしたが、研究室の事情もあり紆余曲折を経て、現在は顎関節の慢性□痛に関する神経生理学的研究をさせていただいています。 論文でしか触れたことのなかった機器が研究室に所狭しと並んでおり、その原理や使い方を覚えるだけで精一杯で、毎日が英語とフランス語による情報の嵐でした。 当初は何がわからないのかもすぐにわからず、質問したくとも上手く質問できず「Yes!」か言わないのは本当だ」と冗談をよく言われましたが、最近は簡単なことならフランス語でも説明できるようになり、その認識を払拭できたのではないかと自負しております。現在は年内に論文を出すことを目標に研究に取り組み、充実した日々を過ごしております。 また当初は1年間の予定ではありましたが、教授からのお誘いもあり、もう1年延長してモントリオールで研究を続けられることになりました。最後になりますが、このような貴重な機会を与えていただきました財団の皆様に厚く御礼申し上げるとともに、この助成金に込められたご期待に応えられるよう精進することを誓いまして末尾とさせていただきます。フランス薫るモントリオール カナダ Quebec83 ←17世紀にフランスから渡ってきた 人々により最初に開拓された 旧市街地大阪大学大学院歯学研究科歯科麻酔学講座

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