私は2023年3月に筑波大学で博士号を取得した後、進行中だった骨格筋幹細胞研究を完成させるため、1年間同じ研究室でポスドクとして研究を続けました。 その間、筑波大学の藤田先生が日仏合同ミーティングで現所属ラボのPhilippos Mourikis博士と出会われたご縁もあり、2024年4月からPhilipposラボにポスドクとして所属することとなりました。 Philippos博士は、Frédéric Relaix博士が率いる骨格筋研究チーム内で「骨格筋幹細胞ニッチ」の研究グループリーダーを務めており、私もその50名を超える大規模チームの一員として加わりました。 研究拠点はパリ郊外のパリ東大学(Université Paris-Est Créteil, UPEC)でしたが、現在はPhilippos博士の独立に伴いネッケル小児病院 (Institut Necker Enfants Malades, INEM) へと移りました。渡仏当初は「フランス語が話せない」「住居探しへの不安」「新天地で馴染めるか」の3つが主な懸念でした。言ってしまえば、「研究はできてもパリで生き残れるか?」という小さな冒険の始まりでした。 当初は「ボンジュール」と「メルシー」しか武器がなく、食堂や街中では英語が通じない場面も多々ありました。 ビュッフェ形式の食堂では「これとこれをください」の代わりに、ただ指を差して笑顔で乗り切る日々。1年かけて少しずつ慣れ、今では肉料理・野菜料理など基本的な注文はフランス語でこなせるようになりました。 買い物も最低限は対応できるようになりましたが、行政手続きは今でも翻訳アプリと友人が欠かせません。 渡仏前に住居を決める予定でしたが、なかなか決まらず、Airbnbでの一時滞在を経て現地で探す作戦に切り替えました。 2024年はパリ五輪の影響で物件不足・家賃高騰の「賃貸ハードモード」でしたが、友人に教わったフリマアプリ「Leboncoin」で奇跡的に理想的な物件を発見。 即内見・即契約に成功しました。 英語が通じる親切な大家さんで、「ご家族のために維持している物件だから利益目的ではない」と言ってくださり、良心的な家賃で快適に暮らしています。 パリの物件探しは「縁と運と即決力」だと学びました。◎新天地への適応研究対象は日本と同じく骨格筋幹細胞なので、実験操作は問題ありませんでした。 当然ラボ内は英語が共通語ですが、日本にいたときの留学生の友人が言った「ポスドクにネイティブ並みの英語は求められていない」の言葉にも勇気づけられました。 フランスでは試薬・実験動物の管理など細かな対応を自分で行う必要があり、日本よりも「研究者としての自立心」が鍛えられる環境でした。 また、友人らは日本文化(アニメ・食事)への関心も高く、交流の輪も自然と広がりました。 食生活も心配無用で、日本米は現地調達可能、フランス料理も美味しく楽しんでいます。 実はフランスは日本国外で日本食材店・日本料理店が最も多い国のひとつと聞き、「美味しいものに困らない国」でもあります。◎最後に留学前の不安に比べ、今は驚くほど充実した日々を送っています。 実験や生活でうまくいかないことが増えることもありましたが、「セラヴィ(それが人生)」の精神で乗り越えてきました。 博士課程の頃は、自分が留学することになるとは想像していませんでしたし、日本を離れる不安も大きかったのが正直なところです。 しかし今、フランスに来て1年が経ち強く感じるのは、研究者としてだけでなく「人としての筋肉(メンタルも含む)」も鍛えられたということです。 今後履歴書に書かれる「フランス留学」という一文は、その文字数以上の意味を持ち、自信にもなります。 これは留学経験者にしかわからない、何とも贅沢な人生の栄養素だと思います。 本体験記が、留学を検討されている皆さまの参考になり、「不安はあるけど環境さえ許せば挑戦してみよう」と思っていただけたら幸いです。 この場をお借りして、2年間にわたる貴重な留学をご支援くださった上原記念生命科学財団の皆さまに、心より御礼申し上げます。Institute Necker Enfant Malades林 卓 杜筑波大学解剖学発生学研究室フランス留学で大事な「セラヴィ精神」ヨーロッパ France 88←セーヌ川に架かるルーブル美術館までの橋にて。 毎月欠かさず続けている「ルーブル美術館ラン」が、 パリ生活の密かな楽しみです。
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