2021年4月から2024年3月までの3年間、ドイツのボン大学にてポスドクとして研究に従事いたしました。ボンはライン川沿いに広がる街で、ベートーヴェンの生まれ故郷としても有名です。東西ドイツ分裂時には西ドイツの首都として、大統領府や政府機関がありましたが、1990年の東西ドイツ統一後にはこれらの機関の一部はベルリンに戻り、空いた場所に国連UNFCCC事務局やドイツポストなどの本社が設置されました。UNFCCCは温室効果ガスの排出増加によって引き起こされる地球規模の気候変動に対応するための枠組みを規定した国連の条約です。風光明媚なライン川、歴史ある教会や城、国連や企業の本社ビルなど、新旧が混在した大変住みやすい街です。国連がある影響か、外国人に対しても寛容で、ほとんどの場所で英語で問題なく生活することが可能です。私はOliver Brüstle教授が主宰するInstitute of Reconstructive Neurobiologyで研究を行いました。ES細胞、iPS細胞を用いた神経再生や神経・精神疾患などの研究を行っている基礎研究のラボです。筑波大学にいたときに、私は歯髄由来の間葉系幹細胞を用いた研究を行っておりましたが、ドイツではiPS細胞から分化誘導したニューロンを用いた、脳梗塞の再生医療についての研究を行ないました。ラボ自体は15人から30人程度のメンバーで構成され、国籍やバックグラウンドも様々、メンバーのうち7割程度が博士課程の学生で、残りの1割がそれぞれポスドク、修士課程の学生、テクニシャンという状況でした。そのほか同じフロアに2つのラボが別にあり、共焦点顕微鏡や、FACSなど、多くの実験機器をフロア全体で共有していました。研究室の大半を占める博士課程の学生は基本的にはプロジェクト・研究費に紐づいて雇用されており、給料が支払われています。その影響もあるのか、この博士課程の学生がかなり主体性をもって研究をすすめている事が印象的でした。それぞれのプロジェクトは、他の研究機関との共同プロジェクトであったり、EU全体をカバーするようなコンソーシアムのなかのひとつのプロジェクトであることがほとんどです。その為、他の国の共同研究者とのやりとりも含めて、博士課程の学生に多くの裁量と責任が負わされておりました。他国との共同研究は日本だとやや敷居が高く感じてしまいますが、ドイツでは、そもそもの研究費が、EU内の複数国の機関が参加するものが応募条件だったりするものもあり、共同研究が気軽に多く行われていました。私は現在日本に帰国しておりますが、今後、どのように自分が国際的なプロジェクトに関わっていけるか、よく作戦を練る必要があると強く感じました。最後になりましたが、海外で生活して研究をするという、貴重な経験をサポートしていただいた上原記念生命科学財団に心から感謝申し上げます。100松村 英明Institute of Reconstructive NeurobiologyUniversity of Bonn(筑波大学大学院人間総合科学研究科疾患制御医学専攻)ボン近郊の古城ボンでの生活と研究
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