から吹き込み、毎日靴が砂で粉吹き芋のようになりました。雨期が始まると、ネズミがどこからともなく侵入し、夜中に寝ていると暗闇から、キッチンの食材の取り合いをし、ケンカをしている鳴き声が聞こえました。春になると壁の穴から続く蟻の行列が部屋を横断しました。初めての海外留学であった事もあり、あの頃の私は無力で、いかに日本が住みやすい国だったかを痛感する毎日でした。渡航から約1年後、パリに学会参加で来られていた日本在住の日本人研究者の方から、『留学に興味が持てない。なぜあなたは留学を選んだのか。』と聞かれました。その場では、的確に答えることが出来ず、『バカンスが長く取れてリフレッシュできて良い。』などと曖昧な答えをして、『2週間も休暇をとって研究に戻りたくならないなんて驚きだ。』と一蹴されました。その日から、また今後何度も聞かれると思われるこの質問について、どう答えるのが正解なのかを考え続けています。今は、ネット社会になり、日本にいても世界中の人々の研究や最新技術をリアルタイムで追うことが出来ます。海外のラボとの共同研究の交渉も、電子メールを送れば可能かもしれません。海外の情勢もニュースで日々情報を得ることが出来ます。ただ、一方で『知っている』事と『理解する、実行に移せる』事は大きく異なると感じてもいます。例えば、留学前の私にとって、海外のラボの研究者は“どこか遠くで、違う考えで研究を進めている人々”であり、日本の研究者より距離を感じる存在でした。外国人の同僚や研究仲間も、日本にいる時の、日本人に対して持つような感覚で出来るとは考えていませんでした。渡航から3年経った今、同じ言葉を話さなくとも、研究に対する情熱を共有することができる事、その上で成り立った信頼関係で初めて、現実的な共同研究が可能になる事を実感しています。こちらで出会った友達や同僚も、日本にいる人々と変わらず、とても大切な存在です。世界のどの国の人とも“ちゃんと分かり合う事が出来る”という感覚が根付いた事が、私の海外での研究に対する見え方を変えました。これは私が以前から知っていた事でありながら、本当に理解している事ではありませんでした。加えて、パリの治安をある程度知っている事と、実際暮らせる事の間にはかなり大きな乖離がありました。初めての海外での生活は自分の常識を覆すことの連続であり、これは、自分の中で常識の皮を被った偏見や、思い込みを見直す機会になりました。一度日本を離れてみると見えてくる、日本の変なところと良いところ、それに甘んじている自分と、同時に縛られている自分。気付かされる事は多くありました。現在は、無事良いアパートに引っ越し、まだまだではありますが、渡航した当初よりは随分英語も上達し、今では十分に研究所内外でのコミュニケーションが円滑に取れています。自分の憧れの研究者の方とディスカッションする機会も何度かあり、この研究の世界は繋がっているのだと更なる研究への熱意を持つ事が出来ました。結果、財団へ申請を行なった研究議題で論文投稿をする事も出来ました。パリの街もコロナ禍とはうってかわり、賑やかになり同僚や友人とレストランで舌鼓を打つことが出来る様になりました。ちょうど寄稿を書いている本日、ラボで自身の送別会をしていただき、今一度留学を見返してみて、最初の苦い経験を加味しても、かけがえの無い素晴らしい体験だったなと感じています。散文ですが、これを私の留学のすすめとさせていただきます。留学を迷われている皆様の後押しになれば幸いです。皆様の留学が、素晴らしい体験になることを願っています。最後に、留学をご支援くださいました上原記念生命科学財団の皆様にこの場を借りて心より御礼申し上げます。留学当初自身を雇うための資金源となっていたプロジェクトが終了してしまい、留学続行が危ぶまれる中、論文投稿の為にもう数年滞在したいと考えていた時に、渡に船のご支援をいただきました。ご支援がなければ、論文投稿には至りませんでした。心より感謝しております。104クリスマスの時期にサンタの帽子を被せられた、狂犬病をモチーフにした像(パスツール研究所内にて)
元のページ ../index.html#104