□政 治 歴1950年6月〜1980年7月 参議院議員1965年6月〜1966年8月 国務大臣□叙位・叙勲1968年4月 勲一等瑞宝章受章1975年11月 勲一等旭日大綬章受章1983年3月 正三位に叙せらる《略 歴》□事 業 歴1946年6月〜1965年6月 大正製薬㈱社長1966年9月〜1973年5月 同 上1973年5月〜1981年6月 大正製薬㈱会長1981年6月〜1983年3月 同、名誉会長《横 顔》1897年12月26日埼玉県に生まれる1983年3月12日死去(享年85才)1974年7月〜1980年1月 自由民主党両院議員会長1980年4月〜1980年7月 裁判官弾劾裁判所裁判長参議院議員として30年にわたり国政に参画し、国政全般のほか、特に科学技術の振興、勤労者の福祉向上や戦争犠牲者の援助に尽力する一方、経営者として合理的一貫生産、直販方式ならびに無借金経営により今日の大正製薬の礎を築いた。ちなみに科学技術庁長官時代に建設が始まったのが、種子島宇宙センターである。ロケットの打ち上げには地球の自転遠心力を利用するのが有利であるため、発射場はできるだけ赤道に近い立地が望ましいが、沖縄返還前の当時、諸条件が適合し最も緯度が低い場所が種子島であった。正吉氏は長官としてこのような科学的知見に数多く触れるうちに、わが国にとって科学技術が生命線であるとの確信を持つに至ったようで、家族にも「終戦で小さな国土に押し込められたわが国にとって、科学技術ほど大事なものはない」とよく話していた。科学技術庁長官原子力委員長上原正吉氏の略歴と横顔
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