TOP>財団について>上原正吉と歴代理事長
明治30年12月26日埼玉県に生まれる。
参議院議員として30年にわたり国政に参画し、国政全般のほか、とくに科学技術の振興、勤労者の福祉向上や戦争犠牲者の援助に尽力する一方、 経営者として合理的一貫生産、直販方式ならびに無借金経営等の先進的経営により今日の大正製薬の礎を築いた。
ちなみに科学技術庁長官時代に建設が始まったのが、種子島宇宙センターである。ロケットの打ち上げには地球の自転遠心力を利用するのが 有利であるため、発射場はできるだけ赤道に近い立地が望ましいが、沖縄返還前の当時、諸条件が適合し最も緯度が低い場所が種子島であった。
正吉は長官としてこのような科学的知見に数多く触れるうちに、わが国にとって科学技術が生命線であるとの確信を持つに至ったようで、 家族にも「終戦で小さな国土に押し込められたわが国にとって、科学技術ほど大事なものはない」とよく話していた。
なお上原記念生命科学財団の贈呈式は、正吉の功績を称えて、その命日の前日となる3 月11日(休日の場合はその前日に)に毎年開催している。
昭和58年3 月12日死去(享年85才)。
昭和21年6月~昭和40年6月 | 大正製薬株式会社 | 社長 |
昭和41年9月~昭和48年5月 | 同上 | |
昭和48年5月~昭和56年6月 | 大正製薬株式会社 | 会長 |
昭和56年6月~昭和58年3月 | 同社 | 名誉会長 |
昭和25年6月~昭和55年7月 | 参議院議員 |
昭和40年6月~昭和41年8月 | 国務大臣 |
科学技術庁長官 | |
原子力委員長 | |
昭和49年7月~昭和55年1月 | 自由民主党両院議員会長 |
昭和55年4月~昭和55年7月 | 裁判官弾劾裁判所裁判長 |
昭和43年 4月 | 勲一等瑞宝章受章 |
昭和50年11月 | 勲一等旭日大綬章受章 |
昭和58年 3月 | 正三位に叙せられる |
財団理事長 昭和60年2月~平成8年8月
明治42年4月13日静岡県に生まれる。
主婦として家庭を守るとともに夫上原正吉と力を合わせ大正製薬の発展に尽力した。また、正吉の30年にわたる国政参画を支えた。 正吉没後は、社会貢献として当財団を設立し、生命科学の発展のためその私財の大半を投じ財団の発展に尽くした。
平成8年8月20日死去 (享年87才)。
昭和40年 6月 | 大正製薬株式会社 | 社長 |
昭和41年 9月 | 同社 | 副社長 |
昭和48年 5月 | 同社 | 副会長 |
昭和56年 6月 | 同社 | 会長 |
昭和57年 6月 | 同社 | 相談役 |
昭和60年 6月 | 同社 | 名誉会長(~平成8年8月) |
昭和60年 2月 | 上原記念生命科学財団 | 理事長 (~平成8年8月) |
昭和59年11月 | 勲三等瑞宝章受章 |
平成 8年 9月 | 従五位に叙せられる |
財団理事長 平成8年9月~平成25年5月
昭和2年12月7日東京都に生まれる。
初代理事長故上原小枝の後を継いで第二代理事長に就任し、約17年に亘って理事長として財団の発展に尽力した。 それまでの理念を継承しつつ、特に研究助成および海外留学助成における助成件数・助成金額の拡大拡充に努め、 今日の上原記念生命科学財団研究助成事業を築き上げた。
昭和23年 4月 | 大正製薬株式会社 | 入社 |
昭和25年 5月 | 同社 | 取締役 |
昭和26年 5月 | 同社 | 代表取締役 |
昭和46年 5月 | 同社 | 代表取締役副社長 |
昭和48年 5月 | 同社 | 代表取締役社長 |
昭和57年 6月 | 同社 | 代表取締役会長 |
昭和60年 2月 | 上原記念生命科学財団 | 常務理事 |
平成 8年 9月 | 同財団 | 理事長(~平成25年5月) |
平成20年 6月 | 大正製薬株式会社 | 名誉会長(現任) |
平成23年10月 | 大正製薬ホールディングス株式会社 | 名誉会長(現任) |
平成11年11月 | 勲三等旭日中綬章受章 |
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